玉電
渋谷の街を走った懐かしの路面電車
1907年(明治40年)、玉川電気鉄道が道玄坂上−三軒茶屋間、三軒茶屋−玉川間(現・二子玉川)、渋谷−道玄坂上間を開業。当時は旅客よりも、二子多摩川付近の砂利を都心に輸送を主目的とし、「砂利電」という愛称で呼ばれていたといいます。その後、渋谷− 渋谷橋間(天現寺線)、三軒茶屋〜下高井戸間、渋谷橋〜中目黒間、玉川〜溝ノ口間が開通するなど路線網を拡大させ、沿線の住民人の足として愛され続けてきました。昭和30年代以降の自動車の発達や田園都市線の建設計画も浮上し、1969年(昭和44年)5月に「玉電」は惜しまれつつ約60年の歴史に幕を閉じました。三軒茶屋−下高井戸区間は、現在、世田谷線と改称されて、今なお走り続けています。
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車輌 玉川電気鉄道改軌後の木造ボギー車 渋谷駅
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1934(昭和9)年ごろの玉川電鉄 渋谷駅
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玉電 15形 大正7年頃
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玉川線 二子玉川付近
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玉川線と砧線 二子玉川園駅
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二子玉川 灯籠流し 灯籠を川に流している人達
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玉川電気鉄道 砧線の木造単車4号(玉川駅)
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玉電 瀬田付近を走る204 電車(昭和30年代)
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三軒茶屋
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三宿付近(昭和30年代)
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三軒茶屋付近
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三軒茶屋
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渋谷 ペコちゃん「ペコちゃん」の愛称をもって親しまれる現.玉川線の新鋭連節車(渋谷駅付近)(昭和30年代)
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玉電(昭和40年代)
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大橋付近(昭和40年代)
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二子玉川園駅
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砧本村(昭和40年代)
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二子橋梁(昭和40年代)
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玉電
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玉電 山下駅(昭和40年代)